2011.11.18

「大阪維新の会」の気になる教育政策


東京から大阪に帰ってきた。実に8年半ぶりである。

東京の世田谷と違い、大阪の吹田は、古巣である故かローカルの故か、やはり私にとって心が和む。今まで教育のことばかりやっていたので、次は高齢者の問題を学ぼうと思っている。

まずは行政の高齢者政策について調べていたところ、吹田市長が「大阪維新の会」という政党の所属であるとわかり、加えて大阪府・市のダブル選挙もあるということで、さっそく維新の会に関する出版物を手に入れた。慶応大学の上山教授の改革の本や、『体制維新』(橋下徹・堺屋太一 共著)はうなずけるところもあった。

 

ところが私が本業として四十年余り携わってきた教育政策を見て、正直なところ大きな衝撃を受けた。政策を立案するスタッフの中に、どんな教育関係の方がおられるのだろうかと疑問が湧いてきた。

維新の会は、教育の中心に「競争原理」を取り入れている。しかし教育において個人間の競争をことさら強調すると、一人ひとりの子どもたちの人間的成長は大きく阻害される。そこには狭い個人主義的な、そして不幸な子供たちが育つことを、私は多く体験して知っているのだ。

私の経験について触れたい。私は大阪の私立の女子中学高校で34年、同じく東京の私立女子中学高校で7年、思春期の生徒の教育に携わってきた。

振り返ってみると、生徒たちは互いに仲間として関わり合いを持つ中で、心優しく、たくましく成長してきたように思う。大学受験において他校と比べて驚異的ともいえる結果を出したのも、ともに支えあって成長した結果であった。

私はこの2つの学校で、すべての行事を「集団の助け合いの場」になるよう工夫した。体育祭もその主な内容は、ムカデ競走や大縄跳びなど、自分のことだけを考えていては到底成り立たない、集団の競技を中心に据えた。また高校3年生における一大行事としての「大学受験」に関しても、みんなで互いに知恵を集め励ましあって乗り越えていった。

教師たちと企画して取り組んだゴールデンウィークの学習合宿は特に印象に残っている。自分たちで計画し、グループを組み、徹夜で膨大な量の単語にチャレンジした生徒たちがいた。朝、私が激励に行くと、

「校長先生、もう限界です。私こんなに勉強したのは、はじめてです。しかもあんな量の単語を覚えたのですよ、私が」と告げる生徒たちの涼しいまなざしは、私を深く感動させた。

 一人でいるとすぐに限界を作ってしまう生徒たちも、友達の頑張りや励ましの中で次々に新しい自分、頑張れる自分を発見していく。仲間とともに苦しいことを乗り越えた生徒たちの間には信頼が生まれ、少しずつ自分の心を開くようになる。

中学受験に失敗した経験から、「これまでは目標を持つのが怖かった。でも今はみんなのおかげで、もう一度、大学合格という目標を持てるようになった」と打ち明ける生徒。

「父とはいつもふざけて、面白おかしい話しか出来なかった。でも今は大学受験をきっかけに、真面目に向き合って、進むべき大学や将来について語り合えることが嬉しい」と話す生徒。

そんな話になると、聞き入る他の生徒たちも真剣そのものである。元気そうに明るく振舞っていた生徒が心の中の悩みを打ち明けると、初めは驚いていた生徒も、みんな自分と同じように弱いところも持ちながら生きているのだと思いはじめる。人は誰も弱いところを持っているのだということを、仲間を通して感じたとき、苦悩する友を自分のことのようにいとおしく感じる。そんな中で生徒たちは、自分を好きになり、仲間を好きになり、人間を好きになる。

競争が中心になっているような学校の生徒たちは、競争に勝てないと、勝てない自分の弱さを憎み、自分をダメな人間だと思い込んでしまう。自分の中の嫌いな部分を隠し、本音を言い合う交流を避ける。だから生徒たちは、競争の元となる「勉強」について、友人と悩みを話し合ったりはしない。思うように成績が伸びないと、一人ぼっちで苦しむ。そのくせ自分と同じ弱さを持つ者を軽蔑する。こんな中では、たとえ成績は良くても、多くの生徒が不安や劣等感を持ちながら生きてしまう。そうして思春期に一番大切な、人と人の間の絆を育てるチャンスを失ってしまうとともに、人間不信におちいる生徒が多く生まれてしまうのだ。

 

大阪府の教育基本条例では、下から5パーセントの教師は改善が見られなければクビにするということになっているらしい。そんなふうに学校が競争原理を軸に動いていくとすれば、幼いころからその中で育った子供たちは果たして、他人を愛し、国を愛し、そして人類を愛することができるのだろうか。

そうではなくて、教員たちは自分の得意とするところを出し合い、弱いところをカバーし合って素晴らしいチームプレイを発揮してほしいし、クラスで少し遅れた面のある生徒でも、大切な他の面までつぶさないでほしいと思う。東京都や大阪府のような大都市の教育が、大学合格を重要な目的として競争をあおるような教育になるとすれば、子どもたちにとってこんな不幸なことはない。

原発事故に見るいわゆる「能力の高い人たち」の心の貧しさは、いったいどこから生まれたのだろう・・・。大阪の選挙を眺めつつ、そんなことを考えずにはいられない今日この頃である。