父親の声は悲痛でした。

調べてみると、以下のような内容のメールが不特定の数名から送られてきていました。

「又担任に、チクル気か?」

「臭い汚いっ もう学校に来るな」

「お前を見ると、一日気分悪いんじゃ。頼むから学校こんでくれ」

など目に余るような内容でした。

 

 あれほどに、五人が一緒になって本気で謝っていたのだから、クラスでも五人以外の他の生徒がメールをやっているのだろうと思いながらも、担任にはまったく予測がつきませんでした。

 

  さっそく終わりのホーム・ルームのあと、クラスの委員長である里佳子を呼んで、話を聞ました。

里佳子はとても言いづらそうな様子でしたが、担任は、里佳子の様子で、大体の状況を彼女が知っていると確信して、放課後にじっくり以下のような担任の思いを話しました。

  

生徒一人ひとりは、必ずみんな、このクラスで、皆と仲良く楽しく生きてゆきたいと思っています。しかし、何らかの事情で心に余裕がなくなって、自分のつらさを他の方法では解決することができずに、人をいじめたり自分を傷つけたりする生徒がいます。

 

それを気づいた友達や他の人が、何らかの方法で、その生徒がそこから抜け出すことを助けてやる必要があります。

今、イジメや陰湿なメールを送っている人自身がなぜそのようにしているのか、そのような行動しかとれない状況にあるのかを私たちも考えることが大切です。

 

それにこのクラスが、そんな陰湿ないじめを許していたら、これからクラスの皆が、いやなおもいでバラバラにこのクラスで生活することになるでしょう。今は、確かに紀子さん一人のことですが、これは、必ず、広がっていきます。」

 

里佳子は、こんな事が、「必ず、広がっていく」という説明を気にしているようでした。

「今から、里佳子さん、このことをあなたとどう解決したらよいか話し合いたいので、クラスの状況を教えてほしい」

と言う担任に、里佳子は、はじめは言いづらそうであったが、素直に状況を話しはじめました。

 

・イジメの犯人は、圭子でした

 

何故圭子なのだ。クラスで成績がトップの二名の中の一人、明るくいつも元気そうにしている圭子が何故?

担任には信じられない思いでした。一瞬、ひょっとして里佳子がうそをついているのでは、と疑いたくなるような自分がいたとの担任の話でした。

 

念のため担任は、何人かの素直な、なんでもあけっぴろげに話すような生徒からもクラスの状況をなんとなく気づかれない様に調べました。

その中で、やはり圭子が中心で、また学外の圭子の友達も加わったイジメである事が確認されました。

 

里佳子を呼んでから三日ほどたって、放課後、担任は圭子と話をしました。

学校の小会議室が幸い空いていたので、そこを借りてじっくり話す事にしました。

はじめは圭子は、

「先生、今日はどんな用事ですか?」

と明るくいつもの圭子の様子でした。

 

担任も話を切り出すのに、ためらいながらも

「実はね、紀子さんのことなんだけど・・・」

ときりだした。圭子は、一瞬戸惑いを見せたようでしたが、すぐに冷静なそぶりで

「紀子さんが、どうしたんですか?」

と訊いてきました。

 

「あの後、一時は、彼女も落ち着いて学校に来ていたのだけど、又この頃、陰湿なメールが彼女に来ているのよ」

と紀子の父親から担任に電話があったことを話すと、少しおいて

「それと、今日の私の話と、どんな関係が有るのですか?」

完全に白を切って、居直った形となりました。

 

このことを予測して、担任は、生活指導部長に事前に相談をしていましたので、部長は、いつでも、協力できるように別室に待機してもらっていました。

しかし出来うるなら、担任との信頼をベースに、圭子に正直に話してもらい、担任自身の手で解決したいという気持ちが担任の中には強く有りました。

 

それで、生活指導部長に相談はしましたが、圭子と二人で徹底して話し合おうと、決意していました。しかし、どのように解決するかと言う、結果の事を考えるようなそんな気持の余裕はありませんでした。

「私も、職員室に居ますからね」

と生活指導部長が心配して待機してくれました。

 

担任は、圭子と対峙しました。

まず、今まで、紀子の父親から電話が来てからの経過を説明しました。

はじめは、担任としても「圭子がそんなはずはない」と言う気持ちが強かった事。

また、たとえ圭子がやったとしても、「他の誰かにやらされているに違いない」と思い色々調べてみた事。そして、今は圭子が中心にやったと思うようになった事実を話しました。

 

そして、はっきり二つのことを圭子訴えました。

 一つは、

「何故、そのような事をやってしまったのか」

そして、

「それはどんな気持ちでやったのか」

ありのままに正直に、担任に話してほしい事。

担任として何故に圭子がそのようなことをやったのか、を圭子と一緒になって考えたい。そして二度とこのような事が起こらないようにしたいと。

 

圭子は、押し黙ったままうつむいていました。しばらく時間が過ぎます。

 

 もし圭子が、この問題を担任と正直に話して解決する事をしないとすれば、と、次のように担任が説明をしました。

 

紀子の父親は、もはや担任の教師には任せられないといっている。したがって、学校としても、生活指導部がこの事件を扱う事になるので、担任は圭子の指導を学校に任せると言う事になると言う事。

 

あんのじょう、圭子は

「自分にはまったく関係のない事です。先生、どうしてそんな事を言うのですか?なんか証拠でもあるんですか」

と担任にむしろ詰め寄る感じでした。「証拠」という言葉を意識して強調しているようでした。

 

「やってません」

ときっぱりと言い切るのです。

 

「誰が言ったのか?その人を連れてきてください」

「証拠がなく、私をなぜ疑うのですか?」

色々諭すのですが、そこからなかなか進みそうもありませんでした。

 

この手の問題は、ここまできたら、中途半端で終わるわけにはいきません。あいまいにして終わると、あらゆるところに、二次的な害が及ぶのです。

 

二時間ほど経ったところで、ころあいを見計らって、事前に生活指導部長と打ち合わせたように

「まず、この後生活指導部長と、圭子さんがあってもらいます。あなたの指導は、残念だけど担任の私ではなく、生活指導部長にお願いします。今の状況では、あなたと二人で解決しようと思ったけれど、私はあなたに信頼してもらうにはまだまだ自分が力不足と思いました。そして、これ以上遅くなるとよくないので、家庭の人に安全のために、迎えに来てもらいます。そのために、今の状況を家のほうに連絡をします。」

 

担任が無念そうにそして圭子に通告するような口調で言うと

「待ってください。母に連絡するのは止めてください」

急に態度が変わりました。

散々言い張っていたにもかかわらず家庭と言ったところで急に態度が変わった事に担任は少なからず驚かされました(普通、これぐらいしたたかな場合は当然おやが呼ばれるのは覚悟しています)。

 

 その後、

「すみません、私です。私がやりました。」

と言い出したので、

「あなたは中心ではないでしょう?どんなクラス以外の子がはいっているの?」

と訊くと

「他の子には、私がやってと頼んだのです」

というのです。

 

「あなたは、あれだけ自分が悪いと謝っていたのに、どうしてそんな事をしたの? 紀子があなたに、何か納得のできない事をやったの?」

 圭子は答えずにじっと横を向いていたが、突然

「あいつか、私か、どっちか学校を辞めさせてください!イヤなんです、あいつの顔ややっている事を見るといらいらしてがまんが出来ないんです」

と、ワァっと泣き出してしまいました。

 

 担任は、何故そこまで紀子が憎いのか、圭子の気持ちをしっかり聴き取ろうとするのですが、激しく憎んでいる事の原因を、圭子から聞きだすことは出来ませんでした。

「どうしてそんなに紀子が憎いの?」

と訊くのだが、

「イヤなんですっ。それだけです! イヤに理由がいりますかっ」

とぜんぜん話がかみ合わなかった。

 

その日は、圭子を落ち着かせて、

「そうなってしまった原因を一緒に考えて解決したいので、どうしてそうなったかをあなたもゆっくり考えてほしい」

と説得して、母親に引き取ってもらいました。

 

 ・後日、その事件を学習会で扱いました。

 

そのとき来て頂いた先生との会議でのやり取りです。次のようなコメントをもらったとき

徒たちの置かれている現実の厳しさに、言葉がありませんでした。

 

―放課後の研修会での話し合った内容ですー

何故、成績が優秀な圭子がそこまで紀子を恨むのかという事が論議の中心になりました。

 

そして、いじめが引き起こされる中のひとつに、家庭の影響、家庭のストレスなどを家庭内で処理できずに学校に持ち込んでくる場合があります。

 

これはよくあるケースで、家ではけじめのある明るいお嬢さんを演じて、学校ではその逆で、すき放題に生活して、クラスを混乱させている場合があります。

人は、どこかで緊張している分、又緊張を緩めて安らぐ事が必要ですが、家で緊張して安らぐ空間がない状態であると、いきおい、学校の中で、リラックスできるところを見つけて、緊張をほぐしていく事になります。

 

そんな中で起こるいじめがよく有ります。

この場合、多くの保護者(母親である場合が多いのですが)は、家ではしっかりしているのに、学校が躾が甘いから、問題であると思っています。

 

したがって、自分の娘にも甘く見られているのではないかと、学校の指導を強化するように言われる例が多く有ります。生徒も同じような考えを持っており、イジメの側に立った場合でも、親は、相手の非を責めて、わが娘を弁護する事が多いようです。

 

他方、学校が原因で起こされる例には、こんなケースが多く有ります。

競争、競争で息もつかせず、学力競争などを展開しているクラスでは、それに追いつけないであがきながらまじめに取り組んでいる生徒に、イライラのほこさきが向けられます。

 

成績の振るわない生徒を、まったく価値のない生徒として、さげすみ暴言を吐き、精神的に追い詰めてしまいます。

 

圭子にはどんな背景があって、あんな陰湿ないじめに及んだのでしょう?

 

父親は、私立の有名大学の理学部の教授、気さくで近寄りがたいようでもなく、落ち着いた冷静な人柄のようでした。母は高校の音楽の教師ですが、同じ教師として、よく学校の事は理解してくれています。

 

助言にこられた先生からの質問です。

「圭子は、この学校を第一志望で入学してきたのですか?」

意外な質問だった。

「いえ、他の私立中学を、二校ほど落ちて本校に入りました」

担任が答えた。

「その事について、圭子の行動に何か気にかかるところはありませんか?」

 

訊かれると、確かに圭子は

「私は、高校は中学の第一志望のところの高校に絶対に行く」

と言っていたそうです。そしてその高校は、中学の成績がオール五であればほとんどオーケイだと話していたそうです。

 

 助言にこられた先生から、仮説であると断りを入れながら、次のような話がありました。

 

「圭子は第一志望の中学校に不合格の時に大きく傷ついた事でしょう。両親の期待も大きくそのために、二校も受験に失敗してこの学校に入学したわけですから、この学校では当然一番の成績でありたいと思ったのではないですか?」

という質問に担任の先生は

「ええ、成績がトップになる事にこだわっています」

と、いつも成績にこだわる圭子のことについて話しました。

 

「圭子は、他はすべて五段階で5なのですが、体育だけはどうしても五の評価は取れないのです。うまくいって4です。大体3の成績ですが、とても努力するので、その努力に体育の先生が4をつけることがあります」

と説明すると

 

「自分の一番いやなところ、体育のセンスがないところを、圭子はとても悔しがっています。体育さえ出来れば、クラスでいつもトップになれる。体育が出来ないために、自分はこんなダメな学校でも一番になれない、そんな思いを持ってるのでないですか?」

 

「その事と紀子のイジメとはどんな関係が有るのですか」

 と担任はすかさず聞きます。

「自分の期って捨てたいいやな事、いくら頑張っても体育の出来ない、いやな自分、そのいやな自分の体のニブサと丁度同じいやな感じを紀子が持っていると感じるのです。だから紀子がそばにいることで、強い不快感を持つのです」

 

出席した先生たちは、衝撃を受けました。他の先生から

「それではどのように指導すればよいのですか」

という質問が出ました。

 

「いくら努力しても出来ない時は自分の素質の問題にします。この場合何故出来ないのか、と考えて運動神経の鈍い父や母のせいにしたりしますが、また、じぶんの才能のないせいにもします。家庭のほうでも成績がすべてという考えから抜け出ないと、圭子は息苦しさから解放されないのです。一番可哀想なのは、競争にさらされ、親の喜びや世間の評価に振り回されながら懸命に生きている圭子です。」

 

担任をはじめ参加した教師たちは、いじめ事件の背景を丹念に紐解きながら、一人一人の生徒にアプローチをする大切さをしみじみと学んでいました。 

 

   

   

 

 

 

 

 

 父親の声は悲痛でした。

調べてみると、以下のような内容のメールが不特定の数名から送られてきていました。

「又担任に、チクル気か?」

「臭い汚いっ もう学校に来るな」

「お前を見ると、一日気分悪いんじゃ。頼むから学校こんでくれ」

など目に余るような内容でした。

 

 あれほどに、五人が一緒になって本気で謝っていたのだから、クラスでも五人以外の他の生徒がメールをやっているのだろうと思いながらも、担任にはまったく予測がつきませんでした。

 

  さっそく終わりのホーム・ルームのあと、クラスの委員長である里佳子を呼んで、話を聞ました。

里佳子はとても言いづらそうな様子でしたが、担任は、里佳子の様子で、大体の状況を彼女が知っていると確信して、放課後にじっくり以下のような担任の思いを話しました。

  

生徒一人ひとりは、必ずみんな、このクラスで、皆と仲良く楽しく生きてゆきたいと思っています。しかし、何らかの事情で心に余裕がなくなって、自分のつらさを他の方法では解決することができずに、人をいじめたり自分を傷つけたりする生徒がいます。

 

それを気づいた友達や他の人が、何らかの方法で、その生徒がそこから抜け出すことを助けてやる必要があります。

今、イジメや陰湿なメールを送っている人自身がなぜそのようにしているのか、そのような行動しかとれない状況にあるのかを私たちも考えることが大切です。

 

それにこのクラスが、そんな陰湿ないじめを許していたら、これからクラスの皆が、いやなおもいでバラバラにこのクラスで生活することになるでしょう。今は、確かに紀子さん一人のことですが、これは、必ず、広がっていきます。」

 

里佳子は、こんな事が、「必ず、広がっていく」という説明を気にしているようでした。

「今から、里佳子さん、このことをあなたとどう解決したらよいか話し合いたいので、クラスの状況を教えてほしい」

と言う担任に、里佳子は、はじめは言いづらそうであったが、素直に状況を話しはじめました。

 

・イジメの犯人は、圭子でした

 

何故圭子なのだ。クラスで成績がトップの二名の中の一人、明るくいつも元気そうにしている圭子が何故?

担任には信じられない思いでした。一瞬、ひょっとして里佳子がうそをついているのでは、と疑いたくなるような自分がいたとの担任の話でした。

 

念のため担任は、何人かの素直な、なんでもあけっぴろげに話すような生徒からもクラスの状況をなんとなく気づかれない様に調べました。

その中で、やはり圭子が中心で、また学外の圭子の友達も加わったイジメである事が確認されました。

 

里佳子を呼んでから三日ほどたって、放課後、担任は圭子と話をしました。

学校の小会議室が幸い空いていたので、そこを借りてじっくり話す事にしました。

はじめは圭子は、

「先生、今日はどんな用事ですか?」

と明るくいつもの圭子の様子でした。

 

担任も話を切り出すのに、ためらいながらも

「実はね、紀子さんのことなんだけど・・・」

ときりだした。圭子は、一瞬戸惑いを見せたようでしたが、すぐに冷静なそぶりで

「紀子さんが、どうしたんですか?」

と訊いてきました。

 

「あの後、一時は、彼女も落ち着いて学校に来ていたのだけど、又この頃、陰湿なメールが彼女に来ているのよ」

と紀子の父親から担任に電話があったことを話すと、少しおいて

「それと、今日の私の話と、どんな関係が有るのですか?」

完全に白を切って、居直った形となりました。

 

このことを予測して、担任は、生活指導部長に事前に相談をしていましたので、部長は、いつでも、協力できるように別室に待機してもらっていました。

しかし出来うるなら、担任との信頼をベースに、圭子に正直に話してもらい、担任自身の手で解決したいという気持ちが担任の中には強く有りました。

 

それで、生活指導部長に相談はしましたが、圭子と二人で徹底して話し合おうと、決意していました。しかし、どのように解決するかと言う、結果の事を考えるようなそんな気持の余裕はありませんでした。

「私も、職員室に居ますからね」

と生活指導部長が心配して待機してくれました。

 

担任は、圭子と対峙しました。

まず、今まで、紀子の父親から電話が来てからの経過を説明しました。

はじめは、担任としても「圭子がそんなはずはない」と言う気持ちが強かった事。

また、たとえ圭子がやったとしても、「他の誰かにやらされているに違いない」と思い色々調べてみた事。そして、今は圭子が中心にやったと思うようになった事実を話しました。

 

そして、はっきり二つのことを圭子訴えました。

 一つは、

「何故、そのような事をやってしまったのか」

そして、

「それはどんな気持ちでやったのか」

ありのままに正直に、担任に話してほしい事。

担任として何故に圭子がそのようなことをやったのか、を圭子と一緒になって考えたい。そして二度とこのような事が起こらないようにしたいと。

 

圭子は、押し黙ったままうつむいていました。しばらく時間が過ぎます。

 

 もし圭子が、この問題を担任と正直に話して解決する事をしないとすれば、と、次のように担任が説明をしました。

 

紀子の父親は、もはや担任の教師には任せられないといっている。したがって、学校としても、生活指導部がこの事件を扱う事になるので、担任は圭子の指導を学校に任せると言う事になると言う事。

 

あんのじょう、圭子は

「自分にはまったく関係のない事です。先生、どうしてそんな事を言うのですか?なんか証拠でもあるんですか」

と担任にむしろ詰め寄る感じでした。「証拠」という言葉を意識して強調しているようでした。

 

「やってません」

ときっぱりと言い切るのです。

 

「誰が言ったのか?その人を連れてきてください」

「証拠がなく、私をなぜ疑うのですか?」

色々諭すのですが、そこからなかなか進みそうもありませんでした。

 

この手の問題は、ここまできたら、中途半端で終わるわけにはいきません。あいまいにして終わると、あらゆるところに、二次的な害が及ぶのです。

 

二時間ほど経ったところで、ころあいを見計らって、事前に生活指導部長と打ち合わせたように

「まず、この後生活指導部長と、圭子さんがあってもらいます。あなたの指導は、残念だけど担任の私ではなく、生活指導部長にお願いします。今の状況では、あなたと二人で解決しようと思ったけれど、私はあなたに信頼してもらうにはまだまだ自分が力不足と思いました。そして、これ以上遅くなるとよくないので、家庭の人に安全のために、迎えに来てもらいます。そのために、今の状況を家のほうに連絡をします。」

 

担任が無念そうにそして圭子に通告するような口調で言うと

「待ってください。母に連絡するのは止めてください」

急に態度が変わりました。

散々言い張っていたにもかかわらず家庭と言ったところで急に態度が変わった事に担任は少なからず驚かされました(普通、これぐらいしたたかな場合は当然おやが呼ばれるのは覚悟しています)。

 

 その後、

「すみません、私です。私がやりました。」

と言い出したので、

「あなたは中心ではないでしょう?どんなクラス以外の子がはいっているの?」

と訊くと

「他の子には、私がやってと頼んだのです」

というのです。

 

「あなたは、あれだけ自分が悪いと謝っていたのに、どうしてそんな事をしたの? 紀子があなたに、何か納得のできない事をやったの?」

 圭子は答えずにじっと横を向いていたが、突然

「あいつか、私か、どっちか学校を辞めさせてください!イヤなんです、あいつの顔ややっている事を見るといらいらしてがまんが出来ないんです」

と、ワァっと泣き出してしまいました。

 

 担任は、何故そこまで紀子が憎いのか、圭子の気持ちをしっかり聴き取ろうとするのですが、激しく憎んでいる事の原因を、圭子から聞きだすことは出来ませんでした。

「どうしてそんなに紀子が憎いの?」

と訊くのだが、

「イヤなんですっ。それだけです! イヤに理由がいりますかっ」

とぜんぜん話がかみ合わなかった。

 

その日は、圭子を落ち着かせて、

「そうなってしまった原因を一緒に考えて解決したいので、どうしてそうなったかをあなたもゆっくり考えてほしい」

と説得して、母親に引き取ってもらいました。

 

 ・後日、その事件を学習会で扱いました。

 

そのとき来て頂いた先生との会議でのやり取りです。次のようなコメントをもらったとき

徒たちの置かれている現実の厳しさに、言葉がありませんでした。

 

―放課後の研修会での話し合った内容ですー

何故、成績が優秀な圭子がそこまで紀子を恨むのかという事が論議の中心になりました。

 

そして、いじめが引き起こされる中のひとつに、家庭の影響、家庭のストレスなどを家庭内で処理できずに学校に持ち込んでくる場合があります。

 

これはよくあるケースで、家ではけじめのある明るいお嬢さんを演じて、学校ではその逆で、すき放題に生活して、クラスを混乱させている場合があります。

人は、どこかで緊張している分、又緊張を緩めて安らぐ事が必要ですが、家で緊張して安らぐ空間がない状態であると、いきおい、学校の中で、リラックスできるところを見つけて、緊張をほぐしていく事になります。

 

そんな中で起こるいじめがよく有ります。

この場合、多くの保護者(母親である場合が多いのですが)は、家ではしっかりしているのに、学校が躾が甘いから、問題であると思っています。

 

したがって、自分の娘にも甘く見られているのではないかと、学校の指導を強化するように言われる例が多く有ります。生徒も同じような考えを持っており、イジメの側に立った場合でも、親は、相手の非を責めて、わが娘を弁護する事が多いようです。

 

他方、学校が原因で起こされる例には、こんなケースが多く有ります。

競争、競争で息もつかせず、学力競争などを展開しているクラスでは、それに追いつけないであがきながらまじめに取り組んでいる生徒に、イライラのほこさきが向けられます。

 

成績の振るわない生徒を、まったく価値のない生徒として、さげすみ暴言を吐き、精神的に追い詰めてしまいます。

 

圭子にはどんな背景があって、あんな陰湿ないじめに及んだのでしょう?

 

父親は、私立の有名大学の理学部の教授、気さくで近寄りがたいようでもなく、落ち着いた冷静な人柄のようでした。母は高校の音楽の教師ですが、同じ教師として、よく学校の事は理解してくれています。

 

助言にこられた先生からの質問です。

「圭子は、この学校を第一志望で入学してきたのですか?」

意外な質問だった。

「いえ、他の私立中学を、二校ほど落ちて本校に入りました」

担任が答えた。

「その事について、圭子の行動に何か気にかかるところはありませんか?」

 

訊かれると、確かに圭子は

「私は、高校は中学の第一志望のところの高校に絶対に行く」

と言っていたそうです。そしてその高校は、中学の成績がオール五であればほとんどオーケイだと話していたそうです。

 

 助言にこられた先生から、仮説であると断りを入れながら、次のような話がありました。

 

「圭子は第一志望の中学校に不合格の時に大きく傷ついた事でしょう。両親の期待も大きくそのために、二校も受験に失敗してこの学校に入学したわけですから、この学校では当然一番の成績でありたいと思ったのではないですか?」

という質問に担任の先生は

「ええ、成績がトップになる事にこだわっています」

と、いつも成績にこだわる圭子のことについて話しました。

 

「圭子は、他はすべて五段階で5なのですが、体育だけはどうしても五の評価は取れないのです。うまくいって4です。大体3の成績ですが、とても努力するので、その努力に体育の先生が4をつけることがあります」

と説明すると

 

「自分の一番いやなところ、体育のセンスがないところを、圭子はとても悔しがっています。体育さえ出来れば、クラスでいつもトップになれる。体育が出来ないために、自分はこんなダメな学校でも一番になれない、そんな思いを持ってるのでないですか?」

 

「その事と紀子のイジメとはどんな関係が有るのですか」

 と担任はすかさず聞きます。

「自分の期って捨てたいいやな事、いくら頑張っても体育の出来ない、いやな自分、そのいやな自分の体のニブサと丁度同じいやな感じを紀子が持っていると感じるのです。だから紀子がそばにいることで、強い不快感を持つのです」

 

出席した先生たちは、衝撃を受けました。他の先生から

「それではどのように指導すればよいのですか」

という質問が出ました。

 

「いくら努力しても出来ない時は自分の素質の問題にします。この場合何故出来ないのか、と考えて運動神経の鈍い父や母のせいにしたりしますが、また、じぶんの才能のないせいにもします。家庭のほうでも成績がすべてという考えから抜け出ないと、圭子は息苦しさから解放されないのです。一番可哀想なのは、競争にさらされ、親の喜びや世間の評価に振り回されながら懸命に生きている圭子です。」

 

担任をはじめ参加した教師たちは、いじめ事件の背景を丹念に紐解きながら、一人一人の生徒にアプローチをする大切さをしみじみと学んでいました。 

 

   

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 父親の声は悲痛でした。

調べてみると、以下のような内容のメールが不特定の数名から送られてきていました。

「又担任に、チクル気か?」

「臭い汚いっ もう学校に来るな」

「お前を見ると、一日気分悪いんじゃ。頼むから学校こんでくれ」

など目に余るような内容でした。

 

 あれほどに、五人が一緒になって本気で謝っていたのだから、クラスでも五人以外の他の生徒がメールをやっているのだろうと思いながらも、担任にはまったく予測がつきませんでした。

 

  さっそく終わりのホーム・ルームのあと、クラスの委員長である里佳子を呼んで、話を聞ました。

里佳子はとても言いづらそうな様子でしたが、担任は、里佳子の様子で、大体の状況を彼女が知っていると確信して、放課後にじっくり以下のような担任の思いを話しました。

  

生徒一人ひとりは、必ずみんな、このクラスで、皆と仲良く楽しく生きてゆきたいと思っています。しかし、何らかの事情で心に余裕がなくなって、自分のつらさを他の方法では解決することができずに、人をいじめたり自分を傷つけたりする生徒がいます。

 

それを気づいた友達や他の人が、何らかの方法で、その生徒がそこから抜け出すことを助けてやる必要があります。

今、イジメや陰湿なメールを送っている人自身がなぜそのようにしているのか、そのような行動しかとれない状況にあるのかを私たちも考えることが大切です。

 

それにこのクラスが、そんな陰湿ないじめを許していたら、これからクラスの皆が、いやなおもいでバラバラにこのクラスで生活することになるでしょう。今は、確かに紀子さん一人のことですが、これは、必ず、広がっていきます。」

 

里佳子は、こんな事が、「必ず、広がっていく」という説明を気にしているようでした。

「今から、里佳子さん、このことをあなたとどう解決したらよいか話し合いたいので、クラスの状況を教えてほしい」

と言う担任に、里佳子は、はじめは言いづらそうであったが、素直に状況を話しはじめました。

 

・イジメの犯人は、圭子でした

 

何故圭子なのだ。クラスで成績がトップの二名の中の一人、明るくいつも元気そうにしている圭子が何故?

担任には信じられない思いでした。一瞬、ひょっとして里佳子がうそをついているのでは、と疑いたくなるような自分がいたとの担任の話でした。

 

念のため担任は、何人かの素直な、なんでもあけっぴろげに話すような生徒からもクラスの状況をなんとなく気づかれない様に調べました。

その中で、やはり圭子が中心で、また学外の圭子の友達も加わったイジメである事が確認されました。

 

里佳子を呼んでから三日ほどたって、放課後、担任は圭子と話をしました。

学校の小会議室が幸い空いていたので、そこを借りてじっくり話す事にしました。

はじめは圭子は、

「先生、今日はどんな用事ですか?」

と明るくいつもの圭子の様子でした。

 

担任も話を切り出すのに、ためらいながらも

「実はね、紀子さんのことなんだけど・・・」

ときりだした。圭子は、一瞬戸惑いを見せたようでしたが、すぐに冷静なそぶりで

「紀子さんが、どうしたんですか?」

と訊いてきました。

 

「あの後、一時は、彼女も落ち着いて学校に来ていたのだけど、又この頃、陰湿なメールが彼女に来ているのよ」

と紀子の父親から担任に電話があったことを話すと、少しおいて

「それと、今日の私の話と、どんな関係が有るのですか?」

完全に白を切って、居直った形となりました。

 

このことを予測して、担任は、生活指導部長に事前に相談をしていましたので、部長は、いつでも、協力できるように別室に待機してもらっていました。

しかし出来うるなら、担任との信頼をベースに、圭子に正直に話してもらい、担任自身の手で解決したいという気持ちが担任の中には強く有りました。

 

それで、生活指導部長に相談はしましたが、圭子と二人で徹底して話し合おうと、決意していました。しかし、どのように解決するかと言う、結果の事を考えるようなそんな気持の余裕はありませんでした。

「私も、職員室に居ますからね」

と生活指導部長が心配して待機してくれました。

 

担任は、圭子と対峙しました。

まず、今まで、紀子の父親から電話が来てからの経過を説明しました。

はじめは、担任としても「圭子がそんなはずはない」と言う気持ちが強かった事。

また、たとえ圭子がやったとしても、「他の誰かにやらされているに違いない」と思い色々調べてみた事。そして、今は圭子が中心にやったと思うようになった事実を話しました。

 

そして、はっきり二つのことを圭子訴えました。

 一つは、

「何故、そのような事をやってしまったのか」

そして、

「それはどんな気持ちでやったのか」

ありのままに正直に、担任に話してほしい事。

担任として何故に圭子がそのようなことをやったのか、を圭子と一緒になって考えたい。そして二度とこのような事が起こらないようにしたいと。

 

圭子は、押し黙ったままうつむいていました。しばらく時間が過ぎます。

 

 もし圭子が、この問題を担任と正直に話して解決する事をしないとすれば、と、次のように担任が説明をしました。

 

紀子の父親は、もはや担任の教師には任せられないといっている。したがって、学校としても、生活指導部がこの事件を扱う事になるので、担任は圭子の指導を学校に任せると言う事になると言う事。

 

あんのじょう、圭子は

「自分にはまったく関係のない事です。先生、どうしてそんな事を言うのですか?なんか証拠でもあるんですか」

と担任にむしろ詰め寄る感じでした。「証拠」という言葉を意識して強調しているようでした。

 

「やってません」

ときっぱりと言い切るのです。

 

「誰が言ったのか?その人を連れてきてください」

「証拠がなく、私をなぜ疑うのですか?」

色々諭すのですが、そこからなかなか進みそうもありませんでした。

 

この手の問題は、ここまできたら、中途半端で終わるわけにはいきません。あいまいにして終わると、あらゆるところに、二次的な害が及ぶのです。

 

二時間ほど経ったところで、ころあいを見計らって、事前に生活指導部長と打ち合わせたように

「まず、この後生活指導部長と、圭子さんがあってもらいます。あなたの指導は、残念だけど担任の私ではなく、生活指導部長にお願いします。今の状況では、あなたと二人で解決しようと思ったけれど、私はあなたに信頼してもらうにはまだまだ自分が力不足と思いました。そして、これ以上遅くなるとよくないので、家庭の人に安全のために、迎えに来てもらいます。そのために、今の状況を家のほうに連絡をします。」

 

担任が無念そうにそして圭子に通告するような口調で言うと

「待ってください。母に連絡するのは止めてください」

急に態度が変わりました。

散々言い張っていたにもかかわらず家庭と言ったところで急に態度が変わった事に担任は少なからず驚かされました(普通、これぐらいしたたかな場合は当然おやが呼ばれるのは覚悟しています)。

 

 その後、

「すみません、私です。私がやりました。」

と言い出したので、

「あなたは中心ではないでしょう?どんなクラス以外の子がはいっているの?」

と訊くと

「他の子には、私がやってと頼んだのです」

というのです。

 

「あなたは、あれだけ自分が悪いと謝っていたのに、どうしてそんな事をしたの? 紀子があなたに、何か納得のできない事をやったの?」

 圭子は答えずにじっと横を向いていたが、突然

「あいつか、私か、どっちか学校を辞めさせてください!イヤなんです、あいつの顔ややっている事を見るといらいらしてがまんが出来ないんです」

と、ワァっと泣き出してしまいました。

 

 担任は、何故そこまで紀子が憎いのか、圭子の気持ちをしっかり聴き取ろうとするのですが、激しく憎んでいる事の原因を、圭子から聞きだすことは出来ませんでした。

「どうしてそんなに紀子が憎いの?」

と訊くのだが、

「イヤなんですっ。それだけです! イヤに理由がいりますかっ」

とぜんぜん話がかみ合わなかった。

 

その日は、圭子を落ち着かせて、

「そうなってしまった原因を一緒に考えて解決したいので、どうしてそうなったかをあなたもゆっくり考えてほしい」

と説得して、母親に引き取ってもらいました。

 

 ・後日、その事件を学習会で扱いました。

 

そのとき来て頂いた先生との会議でのやり取りです。次のようなコメントをもらったとき

徒たちの置かれている現実の厳しさに、言葉がありませんでした。

 

―放課後の研修会での話し合った内容ですー

何故、成績が優秀な圭子がそこまで紀子を恨むのかという事が論議の中心になりました。

 

そして、いじめが引き起こされる中のひとつに、家庭の影響、家庭のストレスなどを家庭内で処理できずに学校に持ち込んでくる場合があります。

 

これはよくあるケースで、家ではけじめのある明るいお嬢さんを演じて、学校ではその逆で、すき放題に生活して、クラスを混乱させている場合があります。

人は、どこかで緊張している分、又緊張を緩めて安らぐ事が必要ですが、家で緊張して安らぐ空間がない状態であると、いきおい、学校の中で、リラックスできるところを見つけて、緊張をほぐしていく事になります。

 

そんな中で起こるいじめがよく有ります。

この場合、多くの保護者(母親である場合が多いのですが)は、家ではしっかりしているのに、学校が躾が甘いから、問題であると思っています。

 

したがって、自分の娘にも甘く見られているのではないかと、学校の指導を強化するように言われる例が多く有ります。生徒も同じような考えを持っており、イジメの側に立った場合でも、親は、相手の非を責めて、わが娘を弁護する事が多いようです。

 

他方、学校が原因で起こされる例には、こんなケースが多く有ります。

競争、競争で息もつかせず、学力競争などを展開しているクラスでは、それに追いつけないであがきながらまじめに取り組んでいる生徒に、イライラのほこさきが向けられます。

 

成績の振るわない生徒を、まったく価値のない生徒として、さげすみ暴言を吐き、精神的に追い詰めてしまいます。

 

圭子にはどんな背景があって、あんな陰湿ないじめに及んだのでしょう?

 

父親は、私立の有名大学の理学部の教授、気さくで近寄りがたいようでもなく、落ち着いた冷静な人柄のようでした。母は高校の音楽の教師ですが、同じ教師として、よく学校の事は理解してくれています。

 

助言にこられた先生からの質問です。

「圭子は、この学校を第一志望で入学してきたのですか?」

意外な質問だった。

「いえ、他の私立中学を、二校ほど落ちて本校に入りました」

担任が答えた。

「その事について、圭子の行動に何か気にかかるところはありませんか?」

 

訊かれると、確かに圭子は

「私は、高校は中学の第一志望のところの高校に絶対に行く」

と言っていたそうです。そしてその高校は、中学の成績がオール五であればほとんどオーケイだと話していたそうです。

 

 助言にこられた先生から、仮説であると断りを入れながら、次のような話がありました。

 

「圭子は第一志望の中学校に不合格の時に大きく傷ついた事でしょう。両親の期待も大きくそのために、二校も受験に失敗してこの学校に入学したわけですから、この学校では当然一番の成績でありたいと思ったのではないですか?」

という質問に担任の先生は

「ええ、成績がトップになる事にこだわっています」

と、いつも成績にこだわる圭子のことについて話しました。

 

「圭子は、他はすべて五段階で5なのですが、体育だけはどうしても五の評価は取れないのです。うまくいって4です。大体3の成績ですが、とても努力するので、その努力に体育の先生が4をつけることがあります」

と説明すると

 

「自分の一番いやなところ、体育のセンスがないところを、圭子はとても悔しがっています。体育さえ出来れば、クラスでいつもトップになれる。体育が出来ないために、自分はこんなダメな学校でも一番になれない、そんな思いを持ってるのでないですか?」

 

「その事と紀子のイジメとはどんな関係が有るのですか」

 と担任はすかさず聞きます。

「自分の期って捨てたいいやな事、いくら頑張っても体育の出来ない、いやな自分、そのいやな自分の体のニブサと丁度同じいやな感じを紀子が持っていると感じるのです。だから紀子がそばにいることで、強い不快感を持つのです」

 

出席した先生たちは、衝撃を受けました。他の先生から

「それではどのように指導すればよいのですか」

という質問が出ました。

 

「いくら努力しても出来ない時は自分の素質の問題にします。この場合何故出来ないのか、と考えて運動神経の鈍い父や母のせいにしたりしますが、また、じぶんの才能のないせいにもします。家庭のほうでも成績がすべてという考えから抜け出ないと、圭子は息苦しさから解放されないのです。一番可哀想なのは、競争にさらされ、親の喜びや世間の評価に振り回されながら懸命に生きている圭子です。」

 

担任をはじめ参加した教師たちは、いじめ事件の背景を丹念に紐解きながら、一人一人の生徒にアプローチをする大切さをしみじみと学んでいました。 

 

   

   

 

 

 

 

 

 

 父親の声は悲痛でした。

調べてみると、以下のような内容のメールが不特定の数名から送られてきていました。

「又担任に、チクル気か?」

「臭い汚いっ もう学校に来るな」

「お前を見ると、一日気分悪いんじゃ。頼むから学校こんでくれ」

など目に余るような内容でした。

 

 あれほどに、五人が一緒になって本気で謝っていたのだから、クラスでも五人以外の他の生徒がメールをやっているのだろうと思いながらも、担任にはまったく予測がつきませんでした。

 

  さっそく終わりのホーム・ルームのあと、クラスの委員長である里佳子を呼んで、話を聞ました。

里佳子はとても言いづらそうな様子でしたが、担任は、里佳子の様子で、大体の状況を彼女が知っていると確信して、放課後にじっくり以下のような担任の思いを話しました。

  

生徒一人ひとりは、必ずみんな、このクラスで、皆と仲良く楽しく生きてゆきたいと思っています。しかし、何らかの事情で心に余裕がなくなって、自分のつらさを他の方法では解決することができずに、人をいじめたり自分を傷つけたりする生徒がいます。

 

それを気づいた友達や他の人が、何らかの方法で、その生徒がそこから抜け出すことを助けてやる必要があります。

今、イジメや陰湿なメールを送っている人自身がなぜそのようにしているのか、そのような行動しかとれない状況にあるのかを私たちも考えることが大切です。

 

それにこのクラスが、そんな陰湿ないじめを許していたら、これからクラスの皆が、いやなおもいでバラバラにこのクラスで生活することになるでしょう。今は、確かに紀子さん一人のことですが、これは、必ず、広がっていきます。」

 

里佳子は、こんな事が、「必ず、広がっていく」という説明を気にしているようでした。

「今から、里佳子さん、このことをあなたとどう解決したらよいか話し合いたいので、クラスの状況を教えてほしい」

と言う担任に、里佳子は、はじめは言いづらそうであったが、素直に状況を話しはじめました。

 

・イジメの犯人は、圭子でした

 

何故圭子なのだ。クラスで成績がトップの二名の中の一人、明るくいつも元気そうにしている圭子が何故?

担任には信じられない思いでした。一瞬、ひょっとして里佳子がうそをついているのでは、と疑いたくなるような自分がいたとの担任の話でした。

 

念のため担任は、何人かの素直な、なんでもあけっぴろげに話すような生徒からもクラスの状況をなんとなく気づかれない様に調べました。

その中で、やはり圭子が中心で、また学外の圭子の友達も加わったイジメである事が確認されました。

 

里佳子を呼んでから三日ほどたって、放課後、担任は圭子と話をしました。

学校の小会議室が幸い空いていたので、そこを借りてじっくり話す事にしました。

はじめは圭子は、

「先生、今日はどんな用事ですか?」

と明るくいつもの圭子の様子でした。

 

担任も話を切り出すのに、ためらいながらも

「実はね、紀子さんのことなんだけど・・・」

ときりだした。圭子は、一瞬戸惑いを見せたようでしたが、すぐに冷静なそぶりで

「紀子さんが、どうしたんですか?」

と訊いてきました。

 

「あの後、一時は、彼女も落ち着いて学校に来ていたのだけど、又この頃、陰湿なメールが彼女に来ているのよ」

と紀子の父親から担任に電話があったことを話すと、少しおいて

「それと、今日の私の話と、どんな関係が有るのですか?」

完全に白を切って、居直った形となりました。

 

このことを予測して、担任は、生活指導部長に事前に相談をしていましたので、部長は、いつでも、協力できるように別室に待機してもらっていました。

しかし出来うるなら、担任との信頼をベースに、圭子に正直に話してもらい、担任自身の手で解決したいという気持ちが担任の中には強く有りました。

 

それで、生活指導部長に相談はしましたが、圭子と二人で徹底して話し合おうと、決意していました。しかし、どのように解決するかと言う、結果の事を考えるようなそんな気持の余裕はありませんでした。

「私も、職員室に居ますからね」

と生活指導部長が心配して待機してくれました。

 

担任は、圭子と対峙しました。

まず、今まで、紀子の父親から電話が来てからの経過を説明しました。

はじめは、担任としても「圭子がそんなはずはない」と言う気持ちが強かった事。

また、たとえ圭子がやったとしても、「他の誰かにやらされているに違いない」と思い色々調べてみた事。そして、今は圭子が中心にやったと思うようになった事実を話しました。

 

そして、はっきり二つのことを圭子訴えました。

 一つは、

「何故、そのような事をやってしまったのか」

そして、

「それはどんな気持ちでやったのか」

ありのままに正直に、担任に話してほしい事。

担任として何故に圭子がそのようなことをやったのか、を圭子と一緒になって考えたい。そして二度とこのような事が起こらないようにしたいと。

 

圭子は、押し黙ったままうつむいていました。しばらく時間が過ぎます。

 

 もし圭子が、この問題を担任と正直に話して解決する事をしないとすれば、と、次のように担任が説明をしました。

 

紀子の父親は、もはや担任の教師には任せられないといっている。したがって、学校としても、生活指導部がこの事件を扱う事になるので、担任は圭子の指導を学校に任せると言う事になると言う事。

 

あんのじょう、圭子は

「自分にはまったく関係のない事です。先生、どうしてそんな事を言うのですか?なんか証拠でもあるんですか」

と担任にむしろ詰め寄る感じでした。「証拠」という言葉を意識して強調しているようでした。

 

「やってません」

ときっぱりと言い切るのです。

 

「誰が言ったのか?その人を連れてきてください」

「証拠がなく、私をなぜ疑うのですか?」

色々諭すのですが、そこからなかなか進みそうもありませんでした。

 

この手の問題は、ここまできたら、中途半端で終わるわけにはいきません。あいまいにして終わると、あらゆるところに、二次的な害が及ぶのです。

 

二時間ほど経ったところで、ころあいを見計らって、事前に生活指導部長と打ち合わせたように

「まず、この後生活指導部長と、圭子さんがあってもらいます。あなたの指導は、残念だけど担任の私ではなく、生活指導部長にお願いします。今の状況では、あなたと二人で解決しようと思ったけれど、私はあなたに信頼してもらうにはまだまだ自分が力不足と思いました。そして、これ以上遅くなるとよくないので、家庭の人に安全のために、迎えに来てもらいます。そのために、今の状況を家のほうに連絡をします。」

 

担任が無念そうにそして圭子に通告するような口調で言うと

「待ってください。母に連絡するのは止めてください」

急に態度が変わりました。

散々言い張っていたにもかかわらず家庭と言ったところで急に態度が変わった事に担任は少なからず驚かされました(普通、これぐらいしたたかな場合は当然おやが呼ばれるのは覚悟しています)。

 

 その後、

「すみません、私です。私がやりました。」

と言い出したので、

「あなたは中心ではないでしょう?どんなクラス以外の子がはいっているの?」

と訊くと

「他の子には、私がやってと頼んだのです」

というのです。

 

「あなたは、あれだけ自分が悪いと謝っていたのに、どうしてそんな事をしたの? 紀子があなたに、何か納得のできない事をやったの?」

 圭子は答えずにじっと横を向いていたが、突然

「あいつか、私か、どっちか学校を辞めさせてください!イヤなんです、あいつの顔ややっている事を見るといらいらしてがまんが出来ないんです」

と、ワァっと泣き出してしまいました。

 

 担任は、何故そこまで紀子が憎いのか、圭子の気持ちをしっかり聴き取ろうとするのですが、激しく憎んでいる事の原因を、圭子から聞きだすことは出来ませんでした。

「どうしてそんなに紀子が憎いの?」

と訊くのだが、

「イヤなんですっ。それだけです! イヤに理由がいりますかっ」

とぜんぜん話がかみ合わなかった。

 

その日は、圭子を落ち着かせて、

「そうなってしまった原因を一緒に考えて解決したいので、どうしてそうなったかをあなたもゆっくり考えてほしい」

と説得して、母親に引き取ってもらいました。

 

 ・後日、その事件を学習会で扱いました。

 

そのとき来て頂いた先生との会議でのやり取りです。次のようなコメントをもらったとき

徒たちの置かれている現実の厳しさに、言葉がありませんでした。

 

―放課後の研修会での話し合った内容ですー

何故、成績が優秀な圭子がそこまで紀子を恨むのかという事が論議の中心になりました。

 

そして、いじめが引き起こされる中のひとつに、家庭の影響、家庭のストレスなどを家庭内で処理できずに学校に持ち込んでくる場合があります。

 

これはよくあるケースで、家ではけじめのある明るいお嬢さんを演じて、学校ではその逆で、すき放題に生活して、クラスを混乱させている場合があります。

人は、どこかで緊張している分、又緊張を緩めて安らぐ事が必要ですが、家で緊張して安らぐ空間がない状態であると、いきおい、学校の中で、リラックスできるところを見つけて、緊張をほぐしていく事になります。

 

そんな中で起こるいじめがよく有ります。

この場合、多くの保護者(母親である場合が多いのですが)は、家ではしっかりしているのに、学校が躾が甘いから、問題であると思っています。

 

したがって、自分の娘にも甘く見られているのではないかと、学校の指導を強化するように言われる例が多く有ります。生徒も同じような考えを持っており、イジメの側に立った場合でも、親は、相手の非を責めて、わが娘を弁護する事が多いようです。

 

他方、学校が原因で起こされる例には、こんなケースが多く有ります。

競争、競争で息もつかせず、学力競争などを展開しているクラスでは、それに追いつけないであがきながらまじめに取り組んでいる生徒に、イライラのほこさきが向けられます。

 

成績の振るわない生徒を、まったく価値のない生徒として、さげすみ暴言を吐き、精神的に追い詰めてしまいます。

 

圭子にはどんな背景があって、あんな陰湿ないじめに及んだのでしょう?

 

父親は、私立の有名大学の理学部の教授、気さくで近寄りがたいようでもなく、落ち着いた冷静な人柄のようでした。母は高校の音楽の教師ですが、同じ教師として、よく学校の事は理解してくれています。

 

助言にこられた先生からの質問です。

「圭子は、この学校を第一志望で入学してきたのですか?」

意外な質問だった。

「いえ、他の私立中学を、二校ほど落ちて本校に入りました」

担任が答えた。

「その事について、圭子の行動に何か気にかかるところはありませんか?」

 

訊かれると、確かに圭子は

「私は、高校は中学の第一志望のところの高校に絶対に行く」

と言っていたそうです。そしてその高校は、中学の成績がオール五であればほとんどオーケイだと話していたそうです。

 

 助言にこられた先生から、仮説であると断りを入れながら、次のような話がありました。

 

「圭子は第一志望の中学校に不合格の時に大きく傷ついた事でしょう。両親の期待も大きくそのために、二校も受験に失敗してこの学校に入学したわけですから、この学校では当然一番の成績でありたいと思ったのではないですか?」

という質問に担任の先生は

「ええ、成績がトップになる事にこだわっています」

と、いつも成績にこだわる圭子のことについて話しました。

 

「圭子は、他はすべて五段階で5なのですが、体育だけはどうしても五の評価は取れないのです。うまくいって4です。大体3の成績ですが、とても努力するので、その努力に体育の先生が4をつけることがあります」

と説明すると

 

「自分の一番いやなところ、体育のセンスがないところを、圭子はとても悔しがっています。体育さえ出来れば、クラスでいつもトップになれる。体育が出来ないために、自分はこんなダメな学校でも一番になれない、そんな思いを持ってるのでないですか?」

 

「その事と紀子のイジメとはどんな関係が有るのですか」

 と担任はすかさず聞きます。

「自分の期って捨てたいいやな事、いくら頑張っても体育の出来ない、いやな自分、そのいやな自分の体のニブサと丁度同じいやな感じを紀子が持っていると感じるのです。だから紀子がそばにいることで、強い不快感を持つのです」

 

出席した先生たちは、衝撃を受けました。他の先生から

「それではどのように指導すればよいのですか」

という質問が出ました。

 

「いくら努力しても出来ない時は自分の素質の問題にします。この場合何故出来ないのか、と考えて運動神経の鈍い父や母のせいにしたりしますが、また、じぶんの才能のないせいにもします。家庭のほうでも成績がすべてという考えから抜け出ないと、圭子は息苦しさから解放されないのです。一番可哀想なのは、競争にさらされ、親の喜びや世間の評価に振り回されながら懸命に生きている圭子です。」

 

担任をはじめ参加した教師たちは、いじめ事件の背景を丹念に紐解きながら、一人一人の生徒にアプローチをする大切さをしみじみと学んでいました。 

 

   

   

 

 

 

 

 

 

 

 父親の声は悲痛でした。

調べてみると、以下のような内容のメールが不特定の数名から送られてきていました。

「又担任に、チクル気か?」

「臭い汚いっ もう学校に来るな」

「お前を見ると、一日気分悪いんじゃ。頼むから学校こんでくれ」

など目に余るような内容でした。

 

 あれほどに、五人が一緒になって本気で謝っていたのだから、クラスでも五人以外の他の生徒がメールをやっているのだろうと思いながらも、担任にはまったく予測がつきませんでした。

 

  さっそく終わりのホーム・ルームのあと、クラスの委員長である里佳子を呼んで、話を聞ました。

里佳子はとても言いづらそうな様子でしたが、担任は、里佳子の様子で、大体の状況を彼女が知っていると確信して、放課後にじっくり以下のような担任の思いを話しました。

  

生徒一人ひとりは、必ずみんな、このクラスで、皆と仲良く楽しく生きてゆきたいと思っています。しかし、何らかの事情で心に余裕がなくなって、自分のつらさを他の方法では解決することができずに、人をいじめたり自分を傷つけたりする生徒がいます。

 

それを気づいた友達や他の人が、何らかの方法で、その生徒がそこから抜け出すことを助けてやる必要があります。

今、イジメや陰湿なメールを送っている人自身がなぜそのようにしているのか、そのような行動しかとれない状況にあるのかを私たちも考えることが大切です。

 

それにこのクラスが、そんな陰湿ないじめを許していたら、これからクラスの皆が、いやなおもいでバラバラにこのクラスで生活することになるでしょう。今は、確かに紀子さん一人のことですが、これは、必ず、広がっていきます。」

 

里佳子は、こんな事が、「必ず、広がっていく」という説明を気にしているようでした。

「今から、里佳子さん、このことをあなたとどう解決したらよいか話し合いたいので、クラスの状況を教えてほしい」

と言う担任に、里佳子は、はじめは言いづらそうであったが、素直に状況を話しはじめました。

 

・イジメの犯人は、圭子でした

 

何故圭子なのだ。クラスで成績がトップの二名の中の一人、明るくいつも元気そうにしている圭子が何故?

担任には信じられない思いでした。一瞬、ひょっとして里佳子がうそをついているのでは、と疑いたくなるような自分がいたとの担任の話でした。

 

念のため担任は、何人かの素直な、なんでもあけっぴろげに話すような生徒からもクラスの状況をなんとなく気づかれない様に調べました。

その中で、やはり圭子が中心で、また学外の圭子の友達も加わったイジメである事が確認されました。

 

里佳子を呼んでから三日ほどたって、放課後、担任は圭子と話をしました。

学校の小会議室が幸い空いていたので、そこを借りてじっくり話す事にしました。

はじめは圭子は、

「先生、今日はどんな用事ですか?」

と明るくいつもの圭子の様子でした。

 

担任も話を切り出すのに、ためらいながらも

「実はね、紀子さんのことなんだけど・・・」

ときりだした。圭子は、一瞬戸惑いを見せたようでしたが、すぐに冷静なそぶりで

「紀子さんが、どうしたんですか?」

と訊いてきました。

 

「あの後、一時は、彼女も落ち着いて学校に来ていたのだけど、又この頃、陰湿なメールが彼女に来ているのよ」

と紀子の父親から担任に電話があったことを話すと、少しおいて

「それと、今日の私の話と、どんな関係が有るのですか?」

完全に白を切って、居直った形となりました。

 

このことを予測して、担任は、生活指導部長に事前に相談をしていましたので、部長は、いつでも、協力できるように別室に待機してもらっていました。

しかし出来うるなら、担任との信頼をベースに、圭子に正直に話してもらい、担任自身の手で解決したいという気持ちが担任の中には強く有りました。

 

それで、生活指導部長に相談はしましたが、圭子と二人で徹底して話し合おうと、決意していました。しかし、どのように解決するかと言う、結果の事を考えるようなそんな気持の余裕はありませんでした。

「私も、職員室に居ますからね」

と生活指導部長が心配して待機してくれました。

 

担任は、圭子と対峙しました。

まず、今まで、紀子の父親から電話が来てからの経過を説明しました。

はじめは、担任としても「圭子がそんなはずはない」と言う気持ちが強かった事。

また、たとえ圭子がやったとしても、「他の誰かにやらされているに違いない」と思い色々調べてみた事。そして、今は圭子が中心にやったと思うようになった事実を話しました。

 

そして、はっきり二つのことを圭子訴えました。

 一つは、

「何故、そのような事をやってしまったのか」

そして、

「それはどんな気持ちでやったのか」

ありのままに正直に、担任に話してほしい事。

担任として何故に圭子がそのようなことをやったのか、を圭子と一緒になって考えたい。そして二度とこのような事が起こらないようにしたいと。

 

圭子は、押し黙ったままうつむいていました。しばらく時間が過ぎます。

 

 もし圭子が、この問題を担任と正直に話して解決する事をしないとすれば、と、次のように担任が説明をしました。

 

紀子の父親は、もはや担任の教師には任せられないといっている。したがって、学校としても、生活指導部がこの事件を扱う事になるので、担任は圭子の指導を学校に任せると言う事になると言う事。

 

あんのじょう、圭子は

「自分にはまったく関係のない事です。先生、どうしてそんな事を言うのですか?なんか証拠でもあるんですか」

と担任にむしろ詰め寄る感じでした。「証拠」という言葉を意識して強調しているようでした。

 

「やってません」

ときっぱりと言い切るのです。

 

「誰が言ったのか?その人を連れてきてください」

「証拠がなく、私をなぜ疑うのですか?」

色々諭すのですが、そこからなかなか進みそうもありませんでした。

 

この手の問題は、ここまできたら、中途半端で終わるわけにはいきません。あいまいにして終わると、あらゆるところに、二次的な害が及ぶのです。

 

二時間ほど経ったところで、ころあいを見計らって、事前に生活指導部長と打ち合わせたように

「まず、この後生活指導部長と、圭子さんがあってもらいます。あなたの指導は、残念だけど担任の私ではなく、生活指導部長にお願いします。今の状況では、あなたと二人で解決しようと思ったけれど、私はあなたに信頼してもらうにはまだまだ自分が力不足と思いました。そして、これ以上遅くなるとよくないので、家庭の人に安全のために、迎えに来てもらいます。そのために、今の状況を家のほうに連絡をします。」

 

担任が無念そうにそして圭子に通告するような口調で言うと

「待ってください。母に連絡するのは止めてください」

急に態度が変わりました。

散々言い張っていたにもかかわらず家庭と言ったところで急に態度が変わった事に担任は少なからず驚かされました(普通、これぐらいしたたかな場合は当然おやが呼ばれるのは覚悟しています)。

 

 その後、

「すみません、私です。私がやりました。」

と言い出したので、

「あなたは中心ではないでしょう?どんなクラス以外の子がはいっているの?」

と訊くと

「他の子には、私がやってと頼んだのです」

というのです。

 

「あなたは、あれだけ自分が悪いと謝っていたのに、どうしてそんな事をしたの? 紀子があなたに、何か納得のできない事をやったの?」

 圭子は答えずにじっと横を向いていたが、突然

「あいつか、私か、どっちか学校を辞めさせてください!イヤなんです、あいつの顔ややっている事を見るといらいらしてがまんが出来ないんです」

と、ワァっと泣き出してしまいました。

 

 担任は、何故そこまで紀子が憎いのか、圭子の気持ちをしっかり聴き取ろうとするのですが、激しく憎んでいる事の原因を、圭子から聞きだすことは出来ませんでした。

「どうしてそんなに紀子が憎いの?」

と訊くのだが、

「イヤなんですっ。それだけです! イヤに理由がいりますかっ」

とぜんぜん話がかみ合わなかった。

 

その日は、圭子を落ち着かせて、

「そうなってしまった原因を一緒に考えて解決したいので、どうしてそうなったかをあなたもゆっくり考えてほしい」

と説得して、母親に引き取ってもらいました。

 

 ・後日、その事件を学習会で扱いました。

 

そのとき来て頂いた先生との会議でのやり取りです。次のようなコメントをもらったとき

徒たちの置かれている現実の厳しさに、言葉がありませんでした。

 

―放課後の研修会での話し合った内容ですー

何故、成績が優秀な圭子がそこまで紀子を恨むのかという事が論議の中心になりました。

 

そして、いじめが引き起こされる中のひとつに、家庭の影響、家庭のストレスなどを家庭内で処理できずに学校に持ち込んでくる場合があります。

 

これはよくあるケースで、家ではけじめのある明るいお嬢さんを演じて、学校ではその逆で、すき放題に生活して、クラスを混乱させている場合があります。

人は、どこかで緊張している分、又緊張を緩めて安らぐ事が必要ですが、家で緊張して安らぐ空間がない状態であると、いきおい、学校の中で、リラックスできるところを見つけて、緊張をほぐしていく事になります。

 

そんな中で起こるいじめがよく有ります。

この場合、多くの保護者(母親である場合が多いのですが)は、家ではしっかりしているのに、学校が躾が甘いから、問題であると思っています。

 

したがって、自分の娘にも甘く見られているのではないかと、学校の指導を強化するように言われる例が多く有ります。生徒も同じような考えを持っており、イジメの側に立った場合でも、親は、相手の非を責めて、わが娘を弁護する事が多いようです。

 

他方、学校が原因で起こされる例には、こんなケースが多く有ります。

競争、競争で息もつかせず、学力競争などを展開しているクラスでは、それに追いつけないであがきながらまじめに取り組んでいる生徒に、イライラのほこさきが向けられます。

 

成績の振るわない生徒を、まったく価値のない生徒として、さげすみ暴言を吐き、精神的に追い詰めてしまいます。

 

圭子にはどんな背景があって、あんな陰湿ないじめに及んだのでしょう?

 

父親は、私立の有名大学の理学部の教授、気さくで近寄りがたいようでもなく、落ち着いた冷静な人柄のようでした。母は高校の音楽の教師ですが、同じ教師として、よく学校の事は理解してくれています。

 

助言にこられた先生からの質問です。

「圭子は、この学校を第一志望で入学してきたのですか?」

意外な質問だった。

「いえ、他の私立中学を、二校ほど落ちて本校に入りました」

担任が答えた。

「その事について、圭子の行動に何か気にかかるところはありませんか?」

 

訊かれると、確かに圭子は

「私は、高校は中学の第一志望のところの高校に絶対に行く」

と言っていたそうです。そしてその高校は、中学の成績がオール五であればほとんどオーケイだと話していたそうです。

 

 助言にこられた先生から、仮説であると断りを入れながら、次のような話がありました。

 

「圭子は第一志望の中学校に不合格の時に大きく傷ついた事でしょう。両親の期待も大きくそのために、二校も受験に失敗してこの学校に入学したわけですから、この学校では当然一番の成績でありたいと思ったのではないですか?」

という質問に担任の先生は

「ええ、成績がトップになる事にこだわっています」

と、いつも成績にこだわる圭子のことについて話しました。

 

「圭子は、他はすべて五段階で5なのですが、体育だけはどうしても五の評価は取れないのです。うまくいって4です。大体3の成績ですが、とても努力するので、その努力に体育の先生が4をつけることがあります」

と説明すると

 

「自分の一番いやなところ、体育のセンスがないところを、圭子はとても悔しがっています。体育さえ出来れば、クラスでいつもトップになれる。体育が出来ないために、自分はこんなダメな学校でも一番になれない、そんな思いを持ってるのでないですか?」

 

「その事と紀子のイジメとはどんな関係が有るのですか」

 と担任はすかさず聞きます。

「自分の期って捨てたいいやな事、いくら頑張っても体育の出来ない、いやな自分、そのいやな自分の体のニブサと丁度同じいやな感じを紀子が持っていると感じるのです。だから紀子がそばにいることで、強い不快感を持つのです」

 

出席した先生たちは、衝撃を受けました。他の先生から

「それではどのように指導すればよいのですか」

という質問が出ました。

 

「いくら努力しても出来ない時は自分の素質の問題にします。この場合何故出来ないのか、と考えて運動神経の鈍い父や母のせいにしたりしますが、また、じぶんの才能のないせいにもします。家庭のほうでも成績がすべてという考えから抜け出ないと、圭子は息苦しさから解放されないのです。一番可哀想なのは、競争にさらされ、親の喜びや世間の評価に振り回されながら懸命に生きている圭子です。」

 

担任をはじめ参加した教師たちは、いじめ事件の背景を丹念に紐解きながら、一人一人の生徒にアプローチをする大切さをしみじみと学んでいました。 

 

   

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


またまたいじめに関して痛ましい事件が報道されています。私が体験したいじめに関する事件をわかりやすいように物語風に記載いたします。
競争が生んだ悲劇

・私立はいじめがないと思って

体育以外の成績はむしろ上位の方なのですが、行動がゆっくりしていて、走るのも他の生徒よりかなり遅い紀子という生徒がいました。
中学に入学してまもなくは、行動がどうしても他の生徒と、ういているようなところが有り、担任の教師もいじめられるのではないかと気になってました。

本人を呼んで
「何か困った事などあったら、いつでも先生に言ってね」
と言っておいたというのですが、五月の連休明けに早速事件が起きました。

同じクラスの五人の生徒が中心になって、紀子に「臭い」とか「キモイ」とかいって避けるようになったという事でした。
小学校の時も、少し行動が遅いので(話し言葉も少しだけテンポが遅い)、いじめの対象であったようです。

父親から担任に電話があり、直接学校責任者にも話しておきたいという事で、私にも電話がありました。私への電話は、冷静に落ち着いておられたので、小学校の時から学校には何回も電話をされていたのだな、と感じました。

「この事件は、五人の生徒が紀子一人に暴言や嫌がらせをしており、親としては明らかにイジメと判断しますが、学校の判断を聞かせてください。」
と詰問の形で始まりました。

私立学校は、学校が生徒たちをしっかり管理しており、イジメがなく、安心して学校生活が送れると思っていたようです。
「先生、イジメがないと思い、わざわざ高い学費を払って私学へ行かせているのですよ」
と言われました。

「お父さん、今の子供たちは、何処に行ってもトラブルは起こします。人と人は繋がらなければ生きていけません。そのつながりを創るため子供たちも苦しんでもがいているのです。お父さんのつらい気持ちは分かりますが、学校と親といっしょになって、子供たちが助け合い育ち会うために、協力してください。」
と話し、おわりに
「お父さん、心配な事が有ったら、いつでも電話してください」
といって、電話を切りました。

こんなことが、親としては一番つらいだろうことである事は、私にも同じような経験があります。わが息子(3人の子供の中の一番上)が中学一年の時、バレーボール部でトラブルを起こして学校に行くのを渋った時、
「それ位いわれて、何だっ、言い返してやれっ」
とどなってしまいました。苛立ちと、わが子への惨めさ、また息子を仲間はずれにした、息子と親しくしていたのにイジメに回った友達への、憎しみなどが混ざり合っていたあの想い・・・

私は、先生達に、いわゆる、イジメといわれるような事件に対応するときについてはいつも口癖で次のように言っています。

これは「だれがだれをいじめたか」というようなことでなく、友達づくりのつたない子供たちの間に起きたトラブルです。したがって、どちらが正しいのかという捕らえ方でなく、どんな気持ちでどうしようと思ったのか?という事をまずは一人ずつに聞いてください。

いじめた方が悪いという事でなく、関係した生徒の一人ひとりの気持ちをまず担任が理解してください。担任一人では自信がなければ、ためらわず、他の先生の力を借りてください。一番大切なのは生徒一人ひとりのその時の気持ち、感情を分かってあげるという事です。

・ 他にすることなかったもん

担任は早速、紀子を呼んで事情を聞きました。

はじめに、話を聞いたところによると
入学の初めのころは、5人で一緒に学校に来ていたのですが、だんだん紀子をからかうのが5人の集まりの時の雰囲気になっていったとの事。
そのうち、クラスの中でも紀子がからかわれるようになり、からかわない」子もだんだん紀子を避けるようになっていったということでした。

五人の中のリーダー格は明らかに、圭子でした。
紀子に聞いた中でも、圭子がいつも紀子にきつく当たり、他の四人も同じようなことをするようでした。

圭子は一人っ子でした。父は大学の先生をしており、母も高校の先生です。入学してきた時から、中学一年とは思えないほどしっかりしており、入学試験の成績はクラスでトップです。
両親とも、当たり前とはいえ極めて教育に熱心で学校にも協力的でしたので、担任としては
自分の味方になってくれる保護者として、快く思っていました。

その圭子を呼んでまず話を聞きました。担任の
「そんな事をされたら、紀子はどんな気持ちだったと思う」
という事に、圭子は本当に申し訳なさそうにうなだれており、
「先生!私から紀子に謝りたい」
と言ってくれたので、担任もほっと一息つきました。

他の4人について担任が驚いたことには
「なんでそうなったの?」
と訊いても首をかしげていたのですが、一人の子が
「だって、他にすることなかったもん」
というと
「そうだっ、何にもやる事がないから、紀子をからかっていれば楽しかったし」
というと、4人ともうなずいていた。

5人が、一緒に学校へ通学しているのですが、それと思う話題もなくどうかかわっていいか分からない。その時の一番共通する話題が、目の前にいる紀子であったわけです。
紀子を仲間はずれにして、けなして笑いものにしていると五人の間がまとまって、なごやかに、楽しく過ごすことができたと言うのです。

この内容を担任から報告があったとき、私は生徒たちが放置しておいても自然に友達が出来るという考えが間違いであることに確信を持ちました。そして、友達づくりは学校の重要な課
題であると言う気持ちをますます強くもつようになりました。

担任は、このトラブルで本人がどれくらい傷ついているかと言う事や紀子の父親の怒りや母親の悲しみをそのまま五人に伝えました。また、一人でもつらくて学校にこれないような生徒のいるクラスは作りたくないことなどの担任の思いも伝える中で、五人とも素直に紀子に謝りました。

・紀子を見ているとムカツク
ところが、紀子に対するイジメはこれで一件落着ということにはならなかったのです。
「先生・・・。やっぱり小学校とおんなじですね。むちゃくちゃなメールが、紀子に来ているんです」
父親の声は悲痛でした。事情を聞いてみると、以下のような内容のメールが不特定の数名か


2012・2・16  

全国生活指導研究会(全生研)の機関誌「生活指導」が3月号を最後に休刊になります。27歳、教員二年目で早速つまづいた私は1969年7月全生研湯河原大会に一人で参加しました。

3泊4日の合宿研修は私にとって極めて衝撃的でした。それから10年ぐらい、「班・核・討議づくり」の実践に夢中になりました。後に、構成的グループエンカウンターに魅かれそして今はスクールコーチにどっぷり浸かっています。

それでも全生研の機関誌「生活指導」を読んでいるのはそこに優れた実践と理論があるからだと思っています。700号記念に寄せてーコメント&メッセージの中の藤木先生のとても印象にのこる文章を以下に紹介したいと思います。(藤木先生には、大阪薫英時代にとても貴重なご指導をいただきました。)

子どもは子どもの中で生きる
長い実践経験を振り返り、多くの大きな課題を抱えた生徒と向き合いました。それらの生徒を見るにつけ思うことは私の指導がダイレクトに彼らを自立に導くのではなく、彼らを取り巻く間窯が彼らを支えるということです。
発達の節々に彼らは、子供の世界を通して社会を学び、社会の中で自分を形成して生きるのでしょう。家庭的な困難を抱えたり、学力的な劣等感に苦しんだりして、行動を乱してきた生徒は、ともに生きる仲間の世界を失ってしまい、もがいてきたのだと思います。非行・問題行動は、常に両価的であるのです。否定的な行動は彼らが失った仲間の世界を取り戻そうとする苦悩の現れなのです。

今春から月刊誌「生活指導」は自費出版という形で高文研より出版される、とありましたが購入の方法をご存知の方はお知らせください。


息子(m);今度所費税あげるらしいけど、その5%は子育て支援あとは年金のために使うって、ばかばかしいよなあ。
私(w);それもそうだなあ。困ったなあ。年寄りはどうすればいいんだろう?俺たちの若いころは、おばあちゃんには年金はほとんどなくて、俺たち子供が面倒を見るのが当たり前だったんだし面倒見る側の子供も多かったのだけど、お前にそんな余力はないよなあ。
m;でも俺たちとられっぱなしで、その先が真っ暗だよなあ。
w;なんか、ない金を貧乏人ばっかりで取り合ってる感じだなあ。ごく一部の人が富を独り占めにしているって、アメリカなどではデモが多発しているけど、日本も、お金を取る場所が違うのじゃないかなあ。俺も年金がないとお前にすがって生きるしかないし、お前食わしていけるか?
m;ええ~。


東京から大阪に帰ってきた。実に8年半ぶりである。

東京の世田谷と違い、大阪の吹田は、古巣である故かローカルの故か、やはり私にとって心が和む。今まで教育のことばかりやっていたので、次は高齢者の問題を学ぼうと思っている。

まずは行政の高齢者政策について調べていたところ、吹田市長が「大阪維新の会」という政党の所属であるとわかり、加えて大阪府・市のダブル選挙もあるということで、さっそく維新の会に関する出版物を手に入れた。慶応大学の上山教授の改革の本や、『体制維新』(橋下徹・堺屋太一 共著)はうなずけるところもあった。

 

ところが私が本業として四十年余り携わってきた教育政策を見て、正直なところ大きな衝撃を受けた。政策を立案するスタッフの中に、どんな教育関係の方がおられるのだろうかと疑問が湧いてきた。

維新の会は、教育の中心に「競争原理」を取り入れている。しかし教育において個人間の競争をことさら強調すると、一人ひとりの子どもたちの人間的成長は大きく阻害される。そこには狭い個人主義的な、そして不幸な子供たちが育つことを、私は多く体験して知っているのだ。

私の経験について触れたい。私は大阪の私立の女子中学高校で34年、同じく東京の私立女子中学高校で7年、思春期の生徒の教育に携わってきた。

振り返ってみると、生徒たちは互いに仲間として関わり合いを持つ中で、心優しく、たくましく成長してきたように思う。大学受験において他校と比べて驚異的ともいえる結果を出したのも、ともに支えあって成長した結果であった。

私はこの2つの学校で、すべての行事を「集団の助け合いの場」になるよう工夫した。体育祭もその主な内容は、ムカデ競走や大縄跳びなど、自分のことだけを考えていては到底成り立たない、集団の競技を中心に据えた。また高校3年生における一大行事としての「大学受験」に関しても、みんなで互いに知恵を集め励ましあって乗り越えていった。

教師たちと企画して取り組んだゴールデンウィークの学習合宿は特に印象に残っている。自分たちで計画し、グループを組み、徹夜で膨大な量の単語にチャレンジした生徒たちがいた。朝、私が激励に行くと、

「校長先生、もう限界です。私こんなに勉強したのは、はじめてです。しかもあんな量の単語を覚えたのですよ、私が」と告げる生徒たちの涼しいまなざしは、私を深く感動させた。

 一人でいるとすぐに限界を作ってしまう生徒たちも、友達の頑張りや励ましの中で次々に新しい自分、頑張れる自分を発見していく。仲間とともに苦しいことを乗り越えた生徒たちの間には信頼が生まれ、少しずつ自分の心を開くようになる。

中学受験に失敗した経験から、「これまでは目標を持つのが怖かった。でも今はみんなのおかげで、もう一度、大学合格という目標を持てるようになった」と打ち明ける生徒。

「父とはいつもふざけて、面白おかしい話しか出来なかった。でも今は大学受験をきっかけに、真面目に向き合って、進むべき大学や将来について語り合えることが嬉しい」と話す生徒。

そんな話になると、聞き入る他の生徒たちも真剣そのものである。元気そうに明るく振舞っていた生徒が心の中の悩みを打ち明けると、初めは驚いていた生徒も、みんな自分と同じように弱いところも持ちながら生きているのだと思いはじめる。人は誰も弱いところを持っているのだということを、仲間を通して感じたとき、苦悩する友を自分のことのようにいとおしく感じる。そんな中で生徒たちは、自分を好きになり、仲間を好きになり、人間を好きになる。

競争が中心になっているような学校の生徒たちは、競争に勝てないと、勝てない自分の弱さを憎み、自分をダメな人間だと思い込んでしまう。自分の中の嫌いな部分を隠し、本音を言い合う交流を避ける。だから生徒たちは、競争の元となる「勉強」について、友人と悩みを話し合ったりはしない。思うように成績が伸びないと、一人ぼっちで苦しむ。そのくせ自分と同じ弱さを持つ者を軽蔑する。こんな中では、たとえ成績は良くても、多くの生徒が不安や劣等感を持ちながら生きてしまう。そうして思春期に一番大切な、人と人の間の絆を育てるチャンスを失ってしまうとともに、人間不信におちいる生徒が多く生まれてしまうのだ。

 

大阪府の教育基本条例では、下から5パーセントの教師は改善が見られなければクビにするということになっているらしい。そんなふうに学校が競争原理を軸に動いていくとすれば、幼いころからその中で育った子供たちは果たして、他人を愛し、国を愛し、そして人類を愛することができるのだろうか。

そうではなくて、教員たちは自分の得意とするところを出し合い、弱いところをカバーし合って素晴らしいチームプレイを発揮してほしいし、クラスで少し遅れた面のある生徒でも、大切な他の面までつぶさないでほしいと思う。東京都や大阪府のような大都市の教育が、大学合格を重要な目的として競争をあおるような教育になるとすれば、子どもたちにとってこんな不幸なことはない。

原発事故に見るいわゆる「能力の高い人たち」の心の貧しさは、いったいどこから生まれたのだろう・・・。大阪の選挙を眺めつつ、そんなことを考えずにはいられない今日この頃である。


友愛こそ教育の中心に・・・・これが私の主張です。

失敗を恐れる若者

「チャレンジをしたがらない生徒が増えてきている」
3校ほどの女子高生の受験指導している先生方から、最近こんな話を聞きました。多くの生徒が安易に「推薦入試」に流れるそうです。
よく聞いてみると、彼女たちには行きたい大学があるものの
「受験に失敗するのが怖い」
と、受験が近づくにつれ、どうしても本気が出せないと言うそうです。さらに詳しく聞いてみますと、どうやら彼女たちは中学受験や高校受験で失敗した心の傷が癒えず、大学の受験の緊張を避けていることがわかりました。

内向きになる若者

私は去年、ニュージランドに行く機会がありました。
現地では、日本からの留学生の数が極端に少なくなった、ということを聞きました。それに比べ、人口が日本の半分くらいしかない韓国の留学生の数は、日本の何倍にもなっているというのです。日本の留学生の数は減る一方ですが、中国やインド、韓国からの留学生は増え続けているということでした。
また一方、企業でも海外へ出張を希望する社員が少なくなっているということが先日テレビで報道されていました。国際化の流れの中で日本の若者は、なぜか、内向きになってきているようです。

若者の心を強く

このような状況をどうにかしたいと、私は大阪と東京の女子校で数々の試みを繰り返してきました。
幸いなことにその試みは功を奏し、学問の面では、難関といわれる大学の合格者を11倍にすることができました。
しかし私は、子どもたちに無理矢理勉強を押しつけて、叱咤激励したわけではありません。
「頭を鍛えるためには、まず心を鍛えること」をモットーに、まずは人間としての成長を促したのです。

私が出会った生徒たちは、生徒同士がもめあって、ぶつかり、いさかいを起こし、沢山のトラブルを乗り越えてきました。
その中で、お互いが持っている「苦しさ」や「弱さ」、「悲しみ」や「優しさ」といった「本音」を実感することで、他人の気持ちをリアルに理解することができたのです。その結果、苦しい受験もみんなで支え合って乗り越え、「11倍」といった結果にも結びついたのです。

若者が本音で付き合い、ともに生きる喜びを感じる世界を広げていく。
そんなことに少しでも役立てればと思い、このブログを立ち上げました。

平成22年11月吉日 山本喜平太